わたち猫なの 7
「死ぬっていうのは特別なことじゃないもの。生者必滅会者定離は世の習い。誰もこれには逆らえない。死んだ後のいろいろは生きてる人の都合や気休めや、商売なの。元々院号や法号ってものはね、寺院そのものを建立したり法外な御寄進をした貴人に、寺院側から敬意と感謝の気持ちを表すというのが普通だったの。そもそもの話が古刹名刹と言われているお寺って、今でも檀家を持たないところが多いのよ。天皇家や大名達が個人的に建立したからなの。檀家制度というものが出てきたのは切支丹禁止令のせいなの。江戸幕府は誰もがお寺に属することで、徹底的に切支丹を排除しようとしたのよ。そこに役所の機能も持たせたので、寺にはある種の権力が集中したの。
それが第二次世界大戦後になってから変化したのよ。闇市なんかで財を成した戦後成金が院号や法号を欲しがったの。宗旨によって院号とか法号とかって言うけれど、どちらも同じ意味合いなの。浄土宗や日蓮宗では法号や法名というし、その外は院号って呼び方をするようね。いずれにしてもよ、人というものは功成り名を遂げると名誉が欲しくなるもので、出自が気になってくるの。それの典型的な見本は木下籐吉郎、つまり後の豊臣秀吉ね。彼は水飲み百姓だった出自を糊塗するため異常なほど官位に拘ったし、側室も身分の高い女性ばかりを求めたのよ。人の心の中で時代が変わっても、自己顕示欲だけは変わらないかして、江戸時代には家系図の売買が横行していたそうよ。そういう連中が、寺から院号や法号を貰いたがったので、お寺側も御布施をたくさん頂戴できれば、御希望どおりに致しましょう。というわけで需要と供給のバランスが取れ、そこからはビジネスになってしまったわけ。原理原則に従えばおのずと美しい形になるはずなんだけど、なーんだかよくわからない世の中ねぇ」
だけどね、猫又だって戒名を貰ったって話は聞かないし、わたちの場合、それも生前戒名だから、ちょっと世間の猫とは格が違う存在でしょ。にゃっふふふ。