わたち猫なの 15

「当然でしょ。彼は過去世では樊噲の若い頃のように無頼漢だった事もあるけど、道を求める立派な僧侶だったんだから、暖衣飽食なんていう今風の暮らしをするために今世に来たわけじゃないと思うの」
「樊噲って、犬殺しから将軍になった人じゃにゃいわよね?」
「そうよ。あら、ダークは猫の癖に意外に博識ね」
「書斎に本があるもん。春雨物語に出てくる主人公でしょ。上田秋成って江戸時代の人が書いたのにゃん。幽霊譚で知られてるのは雨月物語の方みたいだけど、わたちは樊噲の話の方が好きよ」
「私は断然雨月物語の白峯よ。伊予の松山で崩御された崇徳院の墓前で西行が歌を詠んで祈ると、怨霊と化した崇徳院が姿を現して返歌をするの。そこから始まる二人の会話には鬼気迫るものがあるわよ。何と言っても崩御された昭和天皇が、昭和39年の秋に、伊予の松山にある白峯御陵に勅使を差し遣わされて800年忌の御霊鎮めの祭祀をした話があるくらいだもの。単なるお話とはわけが違うわ」
「お母さんはノンフィクションが好きなのにゃん?」
「そういうわけでもないけど、お前はどうして樊噲なの?」
「だぁって、大人の男が出てくるんだもん。身内を殺して行き倒れになった樊噲を助けた盗賊の首領が、樊噲の裏切りにあった時こう言ったのよ。
『「おのれ恩しらずめ、命得させ、金百両あたへしには、親ともたのみつると云ひしを忘れ、我を水上に離ちたる、ゆるすまじきを、今は思ふ所あれば」とて、つれ立ち行く。』ねっ。盗賊の首領は樊噲の裏切りに激怒してるんだけど、それをさらりと流してるでしょ。何と言っても我が国最初のピカレスクロマンと言われるぐらいだもん。魅力的よね。ごろつきだった樊噲が卒然と悟りを開くのも、面倒を見てくれた大人の男がいたからでしょ」
「そうとも言えるわね。お前が読書好きなのはよくわかったわ。それに、和尚様が江戸から島流しみたいにロシアの近くまで来たのは仏のなせる業でしょ。それがどういう事か思い出して頂かなきゃ生きてる意味がないじゃないの」